2007
« 幸せ »
ここ数日は、何かを出すよりも、入れること優先。自分の中でこなれさせることが優先されたような気がする。
「現在」と呼ばれるところにいる私は、何を選択しているのか。何を選択しているから、現在このような状況なのか。
かといって、ものすごい不満があるわけではなく。現在目の前にあるものすべてにおいて、意味を考えていた。
そして、本当は自分は何をしたいのか。どのような状況にいること、行動を起こすことにワクワクするのか。まだそれが実現していないとしたら、何が必要か。ワクワクしないことがあるとしたら、それはなぜなのか。そんなことを考えていました。
必要って、モノがなければできないとかいうんじゃなくて、自分が何を選択するか、だけなんですけどね。それに、哲学的にう〜んと悩んでいたわけでもなく。
で、その期間を終えたようです。
究極のところ、「すべてを受け入れる」ということの大切さを再確認したかんじかな。「私が選択したんだ」ということを。
『BASHAR2006』という本に、とてもいい例えがありました。
正確な文章じゃないけど、こんなかんじ。
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もしあなたが、今、鎖で自由が奪われているとしたら、「これは現実ではない。私は鎖なんかに縛られていない」といくら思っても、それでは鎖を見ることさえできていないから、鎖から逃れる方法さえ見つけることができないでしょう。
あなたが「鎖に縛られている」という、「あるがままの状況」を受け入れたなら、どうやって鎖を切るかということを考え付くことができるでしょう。
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「ポジティブにものごとを考えなければならないから、悪いことが起こっているのは認めない」とか、「スピリチュアルなものの考え方をしようと思う私は、このような現実を認めてはいけない」とか、陥りがちなループです。
だけど、現実を認めないと、鎖に縛られたまま、いつまでも「どうして私は身動き一つ取れないんだろう」と思うだけ。
「悪いことが起こっているのは認めない」のところには、ちょっと説明が必要ですが。「こうなっている事実」として認めるのはアリ。「良い」「悪い」の判断さえ、本当はいらないんですね。
「あれ? 私の望む現実にはなっていないけど、それは私が何を選択したからなのだろう」と気付くきっかけにする。「これはある意味、気付きのチャンスなのだ」と、ポジティブに受け入れるのが一番いい。
「今、そうなんだ」と認識することは、「そうなったままでいい」と言っているわけではないのですね。
今、どうなっているのか、どんな状況であっても、その状況をあるがままに認める。そして、違う選択もできるということを学ぶチャンスだったのだとポジティブに受け止め、違う選択をする。
それでいいのよねえ。サインだったんだ、と感謝すればいい。そして、変更すればいいだけ。
すでにあるネガティブ(…だと誰かが意味づけしたもの)を見ないことがポジティブなのではなく、すでにあることをあるがまま受け入れ、そこにどんな意味を見出し、今後どんな選択をしていくかのところでポジティブになろう。
実は、1年ほど前、すぴこんで、とてもとても信頼しているチャネラーさんに「ハイアーセルフから私に伝えたいこと」というのを聞いたとき、「どんなことにも喜びを感じて」ということを言われていた。
「頭ではわかっても、本当にこれをやるのは難しいよ。私も1〜2年かかったから。でも今、私は何をしても幸せ。あなたとこうやって今、話しているのも幸せだし、このあと何食べようかな〜と考えるのも、お皿を洗うのも、とにかくすべてが幸せなのよ。お皿が割れても、割れたという事実を受け入れるだけ。それ以上のことは考えない。あぁ〜、私、この話をみんなにするのも大好き♪」って。
そう。私も、頭ではそのときにわかった。だけど、ハイアーセルフからのメッセージなら、もっとこういうワークをしなさいとか、スピリチュアルな考え方とか、もっと難しいこと、言ってほしかったな…と思っちゃったのも事実。
「すべてに喜びを感じることぐらい、すぐにできる」とか思っていた。だけど、とても難しいことだった。私は、上に書いているような、「悪いものを見ないようにするポジティブ」で、それをやろうとしていたんだよね。
これはチカラワザであり、実は抵抗しているわけで。そして、ずっとずっと、自分の作った現実に翻弄されてた。
でも今、やっとわかった。なぜハイアーセルフが私に「すべてに喜びを感じて」と伝えたかったのか。
これがすべてだもの!
「あるがままを受け入れる」については、14日にワークを受けてから、シンクロのように(シンクロなんだけど)読んだ数冊の本にも書かれていて。今の私に一番必要なものだったんだな〜と。
で、ここ数日は、それを本当に自分の中でこなれさせるために必要な時間だった。
それまでは、本で読んでいて、頭ではわかっていても、反映しきることができていなかった。この1年の間に、「私はこんな現実、選んでないです!」と、天に涙ながらに言ったこともあった。まだまだ、自分が作った「現在」に振り回されていた。
だけど、今は納得。全部受け入れて、何があっても「あぁ、私が創り出したんだね〜。これ、私が選択するものを変えるだけでいいんだね〜」と思える。
そうすると、突発的なことに翻弄されなくなる。いくらでも自分の選択次第でよくなるとわかっているから。ここからは上に上がっていくだけなんだ〜と思える。
うふふふふ。今、とても楽しいです。幸せです。ほんの小さなできごとにも喜びを感じます。どんなものにもユーモアを感じます。
笑いって大切だね。
自分が選択するものって、ものすごく重要だね。
そして今、こうやって幸せを感じられることが幸せ。
…なんか変な文章だけど。
どんなことにも幸せを感じられる自分が幸せ。
相乗効果でむくむくと幸せが広がっているかんじ。
おーい、私は幸せだぞ〜〜〜! って、渋谷駅前のスクランブルで
両手を上げて叫びたいかんじかな。いや、しませんけどね。
「現在」と呼ばれるところにいる私は、何を選択しているのか。何を選択しているから、現在このような状況なのか。
かといって、ものすごい不満があるわけではなく。現在目の前にあるものすべてにおいて、意味を考えていた。
そして、本当は自分は何をしたいのか。どのような状況にいること、行動を起こすことにワクワクするのか。まだそれが実現していないとしたら、何が必要か。ワクワクしないことがあるとしたら、それはなぜなのか。そんなことを考えていました。
必要って、モノがなければできないとかいうんじゃなくて、自分が何を選択するか、だけなんですけどね。それに、哲学的にう〜んと悩んでいたわけでもなく。
で、その期間を終えたようです。
究極のところ、「すべてを受け入れる」ということの大切さを再確認したかんじかな。「私が選択したんだ」ということを。
『BASHAR2006』という本に、とてもいい例えがありました。
正確な文章じゃないけど、こんなかんじ。
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もしあなたが、今、鎖で自由が奪われているとしたら、「これは現実ではない。私は鎖なんかに縛られていない」といくら思っても、それでは鎖を見ることさえできていないから、鎖から逃れる方法さえ見つけることができないでしょう。
あなたが「鎖に縛られている」という、「あるがままの状況」を受け入れたなら、どうやって鎖を切るかということを考え付くことができるでしょう。
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「ポジティブにものごとを考えなければならないから、悪いことが起こっているのは認めない」とか、「スピリチュアルなものの考え方をしようと思う私は、このような現実を認めてはいけない」とか、陥りがちなループです。
だけど、現実を認めないと、鎖に縛られたまま、いつまでも「どうして私は身動き一つ取れないんだろう」と思うだけ。
「悪いことが起こっているのは認めない」のところには、ちょっと説明が必要ですが。「こうなっている事実」として認めるのはアリ。「良い」「悪い」の判断さえ、本当はいらないんですね。
「あれ? 私の望む現実にはなっていないけど、それは私が何を選択したからなのだろう」と気付くきっかけにする。「これはある意味、気付きのチャンスなのだ」と、ポジティブに受け入れるのが一番いい。
「今、そうなんだ」と認識することは、「そうなったままでいい」と言っているわけではないのですね。
今、どうなっているのか、どんな状況であっても、その状況をあるがままに認める。そして、違う選択もできるということを学ぶチャンスだったのだとポジティブに受け止め、違う選択をする。
それでいいのよねえ。サインだったんだ、と感謝すればいい。そして、変更すればいいだけ。
すでにあるネガティブ(…だと誰かが意味づけしたもの)を見ないことがポジティブなのではなく、すでにあることをあるがまま受け入れ、そこにどんな意味を見出し、今後どんな選択をしていくかのところでポジティブになろう。
実は、1年ほど前、すぴこんで、とてもとても信頼しているチャネラーさんに「ハイアーセルフから私に伝えたいこと」というのを聞いたとき、「どんなことにも喜びを感じて」ということを言われていた。
「頭ではわかっても、本当にこれをやるのは難しいよ。私も1〜2年かかったから。でも今、私は何をしても幸せ。あなたとこうやって今、話しているのも幸せだし、このあと何食べようかな〜と考えるのも、お皿を洗うのも、とにかくすべてが幸せなのよ。お皿が割れても、割れたという事実を受け入れるだけ。それ以上のことは考えない。あぁ〜、私、この話をみんなにするのも大好き♪」って。
そう。私も、頭ではそのときにわかった。だけど、ハイアーセルフからのメッセージなら、もっとこういうワークをしなさいとか、スピリチュアルな考え方とか、もっと難しいこと、言ってほしかったな…と思っちゃったのも事実。
「すべてに喜びを感じることぐらい、すぐにできる」とか思っていた。だけど、とても難しいことだった。私は、上に書いているような、「悪いものを見ないようにするポジティブ」で、それをやろうとしていたんだよね。
これはチカラワザであり、実は抵抗しているわけで。そして、ずっとずっと、自分の作った現実に翻弄されてた。
でも今、やっとわかった。なぜハイアーセルフが私に「すべてに喜びを感じて」と伝えたかったのか。
これがすべてだもの!
「あるがままを受け入れる」については、14日にワークを受けてから、シンクロのように(シンクロなんだけど)読んだ数冊の本にも書かれていて。今の私に一番必要なものだったんだな〜と。
で、ここ数日は、それを本当に自分の中でこなれさせるために必要な時間だった。
それまでは、本で読んでいて、頭ではわかっていても、反映しきることができていなかった。この1年の間に、「私はこんな現実、選んでないです!」と、天に涙ながらに言ったこともあった。まだまだ、自分が作った「現在」に振り回されていた。
だけど、今は納得。全部受け入れて、何があっても「あぁ、私が創り出したんだね〜。これ、私が選択するものを変えるだけでいいんだね〜」と思える。
そうすると、突発的なことに翻弄されなくなる。いくらでも自分の選択次第でよくなるとわかっているから。ここからは上に上がっていくだけなんだ〜と思える。
うふふふふ。今、とても楽しいです。幸せです。ほんの小さなできごとにも喜びを感じます。どんなものにもユーモアを感じます。
笑いって大切だね。
自分が選択するものって、ものすごく重要だね。
そして今、こうやって幸せを感じられることが幸せ。
…なんか変な文章だけど。
どんなことにも幸せを感じられる自分が幸せ。
相乗効果でむくむくと幸せが広がっているかんじ。
おーい、私は幸せだぞ〜〜〜! って、渋谷駅前のスクランブルで
両手を上げて叫びたいかんじかな。いや、しませんけどね。

